恋や恋なすな恋 4Kレストア版





 

 竹田出雲の浄瑠璃「芦屋道満大内鑑」と清元「保名」を基に依田義賢がシナリオをまとめたファンタジー時代劇である。内田監督がこれを取り上げようとした意図は何だったろうか。既に近松門左衛門の「丹波与作待夜の小室節」を映画化して「暴れん坊街道」(1957)、「冥途の飛脚」で「浪速の恋の物語」(1959)、三世河竹新七の「籠釣瓶花街酔醒」で「妖刀物語 花の吉原百人斬り」(1960)を世に出している。そのいずれもが依田義賢による脚本というのは興味深い。こういう古典芸能の接近は内田監督の世代はあり得るのかもしれない。私事ながら、監督は小生の祖父の世代で、その祖父もこういう古典芸能は好きだったことを思い出す。また依田義賢にしてみれば、溝口健二監督と築いた世界の延長である。今時点で「暴れん坊街道」だけは未見だが、あとの三作はどこか溝口作品のテイストも感じられるのである。

 さて、この映画は同じ東映グループの東映動画(現・東映アニメーション)の協力を仰ぎ、実験的な画像になっている。雲の動きとか、主人公の阿倍保名から一巻の秘伝書を悪右衛門が奪うが再び狐の大群が奪い返すシーンはアニメを活用している。

 この阿倍保名は有名な陰陽師・阿倍清明の父であり。保名と信太の森の白狐と交わり生まれたのが清明という平安朝の伝説に由来している。ちょっと怪奇な話ではある。今、ヒストリーチャンネルで放映されている「古代の宇宙人」を彷彿させる。映画は清明のことはあまり触れていない。結末も曖昧であるので、やや中途半端な印象は免れない。しかし、橋蔵が養父・六世尾上菊五郎が得意とした「保名」という舞踊を披露するのは、彼のファンには貴重であろう。大川橋蔵はあたりさわりのない時代劇への出演が多く、同世代のライバルである中村錦之助がいろいろな有名監督の野心作に出ていたのとは対照的だ。それでも現状打破として本作や大島渚監督の「天草四郎時貞」(1962)、加藤泰監督の「幕末残酷物語」(1964)という作品にも取り組んでいる。しかし、美男ぶりが逆に仇となって、興行成績はよくなかったらしい。本作も共演の瑳峨三智子の三役をこなす熱演に喰われてしまっているとの評価が下されている。


悪魔のように細心に

 この映画は1975年開催の「阪妻映画祭」で初めて観た。時代劇スターの阪東妻三郎もたまには現代劇に出ていた。最も有名なのは木下恵介監督の「破れ太鼓」(松竹1949)、伊藤大輔監督の「王将」(大映1948)、稲垣浩監督の「無法松の一生」(大映1943)の3本が特に有名である。他にも数本あるのだが、これは軍人として登場した彼にとっては珍しい作品である。同時に彼のための企画でもないようである。

 この妻三郎扮する将軍の名前は映画では特に出てこないが、土肥原賢二大将がモデルと云われている。まあそういうことは別にして、大スターの風格を利用して「立派な軍人」に妻三郎は扮している。しかし、初見の折に戦闘シーンや戦車が出てくるあたり「阪妻映画」にはふさわしくないように感じた。上述のように彼のための企画ではないと書いたが、後で資料を読んでみると将軍役未定のままクランクインしているようである。だから当初の映画雑誌では将軍役の配役はなかったのである。やっと、京都の時代劇の大スターの阪東妻三郎の起用が決まり、彼の登場する部分が後で追加されたようである。そして始めは、せっかくリアルな戦争映画に仕上がりつつあるのに、彼の登場でそれが台無しになるのではという懸念があったらしい。しかし、極めて抑制的な彼の演技はそういう心配は杞憂に終わったようである。

 正直、兵器にも詳しくなく戦術にも不案内なので、退屈な映画になってしまっているが、真摯な姿勢は伺える。なお、後でフィルムセンターで再見した時は「戦争と将軍」と改題されたプリントだった。そして巻頭と最後に遺骨を抱えて帰還する元参謀(水島道太郎)のシーンがついていた。映画祭の折はタイトルも元のままで、そういたった帰還シーンはなかった。何となく違った印象だが、1954年にリバイバルされた版のようであった。今もLDやVHSで流通したソフトはこちらの版だが、題名は元のままになっていて「映倫」のマークが入っている。中味は勇壮ながらどこか空しい感じがして、そういった戦後の追加シーンがあっても違和感のないのは、厭戦的な姿勢が当初からあったのかもしれない。そして、件のモデルになった土肥原は東京裁判でA級戦犯として絞首刑に処されている。そういうことを念頭に入れて観ると、先々は苦難ということを感じるのである。

 なおこの1942年という年は節目の年で、各種産業が政府命令で統合される。映画産業も3社のみ存続ということになり、東宝、松竹はそのままだったが、後はどうなるかだった。結局、日活、新興、大都が統合されて大映となった。これは新興にいた永田雅一の政治工作があったと云われている。日活は1954年まで興行主体の会社として命脈を保つのであった。大映(大日本映画株式会社)の第1作は同年の「維新の曲」でこれにも妻三郎は出演していた。



 この映画は滅多に上映される機会がない。我が家にあるビデオをDVDに焼いたもので久しぶりに観てみた。スクリーンでは2回くらい観ているが、名画座ではない特別な機会だったかと記憶している。初見の後に、原作も読んでみた。岩波文庫で4冊に渡る大作だ。また、劇団民藝の由緒ある演目で、同劇団の大幹部だった滝沢修の主要レパートリーでもある。この名優は戦前から、この演目に取り組んでいる。吉村公三郎監督によるこの映画も滝沢の主演で民藝とのユニットになっている。

 さて、この物語は幕末から明治初期にかけての木曽路にある庄屋が舞台で、そこの当主は学者肌で平田学派に傾倒して、理想社会の打ち建てを目指そうとするが、現実は厳しくその乖離に精神を病んで、幽閉されてしまうのである。革新を目指すも案外、女性に対する見方は古く、今だったら糾弾されかねない発言もする。あまりに生真面目すぎて、余力のない生き方は気の毒なくらいだ。これを左派系の人たちが取り上げるところが面白い。

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