2010年09月

 こう地上の話は何とも、不愉快な事件ばかりだが、宇宙の話を聞くとこういうものが時折極めて些細なことに思えてくるから不思議だ。どうも20光年の遠方に、液体と気体を有する惑星があるとの発表がなされた。ただし、恒星には同じ面のみを向けているらしく、気温の幅が大きいらしい。生物もいるかもしれない。
 
 久々に気が大きくなるニュースではある。

 
 先に「にっぽん泥棒物語」で松川事件のことに触れたが、本作は題名がそのものずばり、事件の検証を兼ねた映画である。被告は当時、上告中で裁判は進行中だった。
 
 被告人役は殆ど新劇畑の若手でそれほど知名度は当時なかった人々だ。それだから余計に記録映画的に見えたが、弁護人や証人及び刑事に扮した俳優は有名な人も含まれるので、そのイリュージョンは俄かに崩れる。しかし、演技力によってリアルさは保たれている。いわば宣伝映画的な要素もあるが、今観ても決して古くなっていない。何故なら、自分の都合のよいように証拠を改竄する検事はいまだに生息しているからだ。
 
 この映画でも最後に字幕で検察に都合の悪い書簡が出てきて、被告人たちがやがて無罪を勝ち取るであろうことを予感させる。また実際そうなる。
 
 なお、被告人役で赤間を演じた小沢弘治は東映の喜劇作品の方でも同じ役を演じている。あまり映画には出ない人で、同じ山本監督の「戦争と人間完結篇」でノモンハン事件のシーンで軍曹役で登場していた。幸いに劇団民藝の公演で滝沢修の演出・主演「あるセールスマンの死」で次男役で登場、生の舞台に接したことがある。
 
 他の被告人役の一人として寺島幹夫が出ている。後年声優で名を挙げた人で先年病没した。アニメ・ファンには有名な声優として知られた人だ。目をむき出しにして、裁判の不当性を述べる長台詞を難なくこなしていた。

http://www.tora-san.jp/toranomaki/practical/madonna/img/ph_b08.jpg 「男はつらいよ寅次郎恋歌」(1971)
 
 また、一人有名俳優の訃報である。享年76歳だったという。
 
 私はこの人を映画よりはTVドラマで見ることが多かった。日曜日の21:00から放映していたTBS系の「日曜劇場」で「女と味噌汁」といったドラマだった。元来は映画女優で、スタートは新東宝だった。もう大蔵貢社長時代の頃だったと思う。結構怪奇映画なんかにも出ていて、毛むくじゃらの怪物はうら若い女性の変わり果てた姿というものをテレビで見たことがある。どうもそのうら若い女性というのがこの人だったみたいである。それが「花嫁吸血魔」という映画でつい最近CSで放映されて確認した。
 
 その後、東宝に転じていろいろな映画に出演して、「けものみち」などはその頃の代表作だったと思う。中村錦之助と共演した「沓掛時次郎・遊侠一匹」や人気シリーズの一つ「男はつらいよ寅次郎恋歌」で他社へ客演したのも忘れられない。
 
 いずれにしても芯の強い女性を演じたらピカ一だった。親御さんの介護で苦労されていたとも聞いている。その経験を生かしたドラマもあったと思う。その時は介護される側をユーモラスに演じていた。私らからすれば親世代の俳優さんだ。もうそういう世代が鬼籍に入るような時代になったのだと思う。
 
 ご冥福を祈りたい。
 
 http://www.nakamurakinnosuke.com/about/images/photo02.jpg 「沓掛時次郎・遊侠一匹」(1966)

 
 この顔の俳優をご存知だろうか。時代劇が好きな人なら、あの人かとお分かりであろう。「ウルトラマン」にも出ていたし、「男はつらいよ」では夢のシーンによく登場していた。
 
 京都の出身で最初は職人だったのが、兵役を経て戦後は東映京都撮影所製作の時代劇に登場するようになった。独特の風貌で悪役が多かった。「新諸国物語」などの悪役が初期の代表らしいが、私は観たことがない。
50年代は東映時代劇にはよく見かけたが、現代劇にも領域を広げ、水木しげる原作の「悪魔くん」の実写ドラマでそのユニークな扮装ぶりは印象が深いし、同じ東映でも東京撮影所の現代劇や大映作品にも登場するようになった。
 
 晩年の代表作は山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズの出演であろう。夢のシーンでかつての東映時代劇でならした悪役ぶりを楽しそうに演じていたが、それらよりも旅回り一座の座長役で登場したエピソードの方が印象に残っている。寅次郎がそんな一座を訪れた時は雨の日で客も望めないので、座長が若い者に殺陣の稽古をつけているシーンだ。その眼光の鋭さは凄く、かつての時代劇俳優を思わせる気迫があった。時代劇の凋落時期の作品であり、時代劇へのオマージュを捧げているような印象だった。

 
 アーサー・フィードラーは長くボストン・ポップス管弦楽団を率いた指揮者だった。この人のレコードでずいぶん曲を覚えたし、クラシック以外の音楽も取り上げて、ジャンルを超えた音楽の楽しさを教えてもらった。
 
 彼はいつもヒット曲をラジオでチェックしていて、気に入った曲は秘書を通じてアレンジャーに希望が伝えられ、数日経ってアレンジされたスコアが届けられていたという。ビートルズの曲も管弦楽に直したものも録音している。こういう姿勢を都合のいいところだけを編曲してけしからんと批判する向きもあったという。
 
 しかし、彼の姿勢はどんなジャンルであろうと一流の音楽は一流なんだということを生前言っていたという。彼の指揮をする音楽はとにかく楽しい。マーチ、ワルツもあればロックの音楽もあったりする。「ペルシャの市場にて」はいまだにフィードラー/ボストン・ポップスの演奏が刷り込みである。また、ガーデの「嫉妬」というコティネンタル・タンゴの曲があるが、これはSP時代からのこのコンビの十八番だという。「嫉妬」もこのコンビの演奏が刷り込みである。
 
 今はこのオーケストラの活動があまり伝わってこない。寂しい限りである。

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