2010年10月

 ついに老舗の映画会社が破綻してしまったようだ。もう何年前から危機状態は続いていたが、こういうニュースはやはり残念である。それこそ多くの名作を生み出してきたのである。
 
 1959年のウィリアム・ワイラー監督による「ベン・ハー」も社運を賭けてのものだった。失敗すれが会社破綻の崖っぷちだったという。だからもう50年も前から危機的状況だったのではなかろうか。新しい媒体の流れに乗れなったのかもしれない。
 
 いい支援先を見つけて再建して欲しいと思う。

 やはり予期していた通りの展開になってしまった。今朝のニュースを見ると前原外相が中国の高官に握手を求めたら振り払うような仕草をその高官はしていた。これも気になる光景ではあった。前原氏は対中強硬姿勢の高官として彼らは眼をつけていたから余計かもしれない。そして、海外メイディアが流した「誤報」に態度を硬化させて今般の土壇場のキャンセルとなったのだ。全て日本の外交責任と言っているが、多分に言いがかり的な態度である。
 
 まず、向こうの国内情勢がたいへん不安定であること、前原氏がアメリカのクリントン国務長官と会談して日米連携を確認したことへの警戒と解説されている。私は前者の比重が高いと思う。反日デモが反政府デモに変容しつつあることは注目していい。
 
 向こうは反日機運が強いが、翻って日本でも反中ムードは高まっている。デモは少ないが、中華街の客足が遠のいたり、中国製のものは回避(もっとも毒餃子以来のことだが)も強まるであろう。
 

 
 
 本作は吉村公三郎監督が自作の中で一番愛着を持っていた作品だったという。世の中の常識に反発して成長してゆく主人公の姿は監督自身の若き日だったのかもしれない。ストライキなどが出てきて、やや左翼的な雰囲気もある。東京で実業家として成功している天野一郎(佐分利信)は、権力側の代表格。主人公(川口浩)は身分違いの令嬢(野添ひろみ)と相思相愛になるが、娘の親たちの意向で生木を裂くように別れさせられてしまう。味方もない少年は一人上京するところで終わる。ストライキやそれを弾圧する者など階級制を強く打ち出した映画でもあり、生っちょろい物語ではない。
 甘酸っぱい青春の思い出を大事にして演出しているような感じがして、好きな映画の1本である。やっと原作も入手して読んでみたが、やや映画とは設定が異なる。原作者の島田清次郎は小説が当たり文壇に颯爽と登場したが、後が続かず身を持ち崩したという。
 芸者に身を落とし、主人公にほのかな恋情を持つ女性に扮した香川京子は、吉村監督から芸者の所作について、やさしくかつ詳細に教えてもらったという。襖の開け方など、実に詳しかったという。監督の師匠だった島津保次郎監督がそういう風俗に詳しかった。その薫陶を大いに受けた。それは吉村監督の著書「映像の演出」(岩波新書・黄版~絶版中)を読むとそういう下りがある。和食の箸は先が尖っているが、中華料理の箸はそうなっていない、何故かといった問答が載っている。正解は魚の身をほぐすか否かの違いとあった。それでも完璧は難しく、実際とは異なる設定をしてしまうと反省の弁も書いているのである。

 
 
 この映画の初見はフィルムセンターでの溝口健二監督特集だった。無声映画なのだが、本当に音が何もしない状態で画面だけを観るというちょっと辛い鑑賞条件だった。あとは自分で想像しながら補ってゆくしかないのである。おまけに出世して検事になった青年のアップで唐突に映画は終わってしまった。GHQの命令で最後の部分はカットの上廃棄処分になったという。
 
 内容は悲恋物語だが、下積みの女性の心意気が伝わってくる映画である。これこそ溝口監督の得意とするところである。今は無声映画鑑賞会やDVDなどにはスティル写真などを駆使しながら、弁士によって補足説明をして映画を完結させている。岡田時彦は岡田茉莉子の父君である。芸達者でコメディもよくした人。しかし、この当時は病気だったらしい。翌年には32歳の若さで亡くなっている。入江たか子は華族出身の女優だが、後年溝口監督と衝突してしまうことになる。因果は巡るである。

http://www.6bun.jp/Kaikan/EventData/images20/Oedo_L.jpg 両雄対決。長兵衛(妻三郎)と水野(右太衛門)
 
 この映画は冒頭に松竹映画30周年記念作品と銘打たれていることが示される。1921年に「路上の霊魂」を始めとする映画を作り出して、丁度30年が経過したわけだ。これはそれを祝ってのオールスター時代劇なのである。
 
 私の本作の初見は1975年の「阪妻映画祭」の折であった。当時は正直期待しないでスクリーンに臨んだが、面白くて時間が経過するのを忘れた。旗本奴と町奴の対立に歌舞伎の「番町皿屋敷」を絡めて面白く構成しているのはシナリオに練達の士が集ったのと伊藤大輔監督の演出力であろう。水野十郎左衛門は敵役だが、市川右太衛門が扮することで悲劇のヒーローになっている。この人は何と言っても「旗本退屈男」の早乙女主水之介が当たり役だが、ここでは能天気な人物ではなく悩めるヒーローなのである。
 
 当初この映画は東映の作品と思っていた。ところが松竹作品と知って意外に思ったものだ。松竹と言えば女性向けの現代劇専門と思っていたからだ。しかしこの当時は結構時代劇も製作していて、右太衛門も東映に専属しながら、スポットで松竹作品にも出演していたのだ。脇役も東映で活躍した人たち結構出ている。

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