2011年08月

 米国務省のヌランド報道官のニュースは各局で取り上げられていて、これで何人目の首相かと記者に聞かれたら、「知らない」との返事。舌を出す始末で、見ていてずいぶん子供っぽいことをする人だなと思った。が、こんなところが米国の本音なのだ。後で釈明はしているが、綸言汗の如しでそんな釈明は無駄かと思う。
 情けないのはこの報道官ではなく、我が国の政治体制なのだ。オバマ政権になってから野田首相が5人目。政権交代してから3人目という。これだけ首相が交代すると何をやっているのか、海外は見るだろう。先日の日本の国債の格下げはこういう政治状況の反映である。同時期のニュースにシンガポールの国債は引き続きトリプルAのままというのが今朝流れていた。政治体制の安定を理由に挙げていた。まさしく対照的なニュースではある。

 極めて私事なのだが、身近な人が急逝した。
 吹奏楽コンクールの一般の部で指揮をしていて、課題曲を終えて自由曲の途中で倒れて、救急搬送されたものの、その途中で亡くなったという。私はコンクールには参加していなかったので、全て伝聞だが、まだ48歳の若さである。若い人の死というものは一種やりきれないものを感じるのだが、まだしたいことが山ほどあったに違いない。子供まだ第一子が中学3年というから、家族の嘆きも如何ばかりと思う。告別式に先立ち仲間たちが、本人の恩師の指揮でJ.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びを」(アルフレッド・リード編曲)を演奏するという。
 葬儀には参列して、本人の冥福を祈りたいと思う。

 
 山本薩夫監督の中篇である。この時期になるとお仕着せ企画ばかりで、スランプ状態になっていたという。「新編丹下左膳隻手の巻」で初めて時代劇の演出を体験するも、不本意だったようだ。評論では邪劇と酷評されている。残念ながらこの時代劇は現存していないとのことだが、どこかから現れないだろうかと密かに期待はしている。そして、「リボンを結ぶ夫人」では明治期の北海道開拓の話でこちらは未見ではあるが、何となく少し期待できそうな内容。黒澤明監督作品や溝口健二監督作品で音楽を担当した早坂文雄の映画デビュー作でもあった。そして本作になるのだが、これは人間描写が今一つで人形のようだとこれまた酷評されている。山本監督も失敗作と認めている。
 亡くなった父親の財産を母子が食いつぶし、唯一の頼りは叔父の株投資。しかしその叔父も相場で失敗して、追い詰められるが、末っ子の娘以外は現実を見ようとしない。そんなダメ一家の話だ。ここでもブルジョワの不労階層を皮肉っているのは山本監督らしいといえばらしい。ただ人間描写が今一つ未熟だが、人形のような感じとは晩年の作品でも時折指摘があったことを思うと、そういう悪い傾向は初期からあったのであろう。
 高慢ちきな原節子、明日を信じる末娘の高峰秀子。両者の若き日の姿が目に出来る作品である。

 
 島津保次郎監督にとっては初のトーキー作品である。クレジットにもその旨の記載がある。上陸した貨物船の火夫の男が若い女を助け、彼女の苦悩の種を解決するといった内容だった。これはアメリカ映画「紐育の波止場」の翻案したものということを聞いた。
 
 ヒロインは若き日の先代・水谷八重子で火夫は岡譲二が扮している。彼の若い同僚には滝口新太郎。滝口はこの後、京都で時代劇中心に活躍。ソ連に抑留されてそのまま帰国せずに居つき、最後は岡田嘉子のパートナーだったというっことだ。その水谷の演技はどちらかというと舞台向きで映画にはそぐわない所作はあるが、大女優の若い頃の姿を観られる映像として貴重である。
 
 音が必要な時だけマイクがオンになっているようで、格闘のシーンはサイレント作品とさして変わらない印象を受けた。島津監督はこの後、トーキーで「隣の八重ちゃん」「浅草の灯」「兄とその妹」といった名作をものにして、東宝へ移籍してしまう。これが裏目に出て思うような作品が出来ず、敗戦の年に癌で死去してしまった。彼の門下には吉村公三郎、中村登、木下恵介といった名匠になった人がいた。

 
 東宝は新興会社ゆえにスターがおらず、他の会社の引き抜きを露骨にやった。長谷川一夫などはその典型で移籍直後、京都の撮影所の門前で暴漢に顔を斬られる事件まで起きている。この映画はそんなスターが集ったオールスター映画だった。配役の筆頭序列にあった大河内伝次郎からして日活からの移籍組だった。また、監督の衣笠貞之助も松竹から長谷川を追うように移っている。これは「雪之丞変化」よ、今一度といったような企画でオリジナルは前後篇に分かれた大作だったが、今は戦後再編集された版が現存している。大きな変更は前篇で姫を演じた原節子のシーンを後篇で同役をやった入江たか子のシーンに差し替えているところであろう。ちょっと筋が分からなくなっている。
 野洲烏山の国家老の不正を暴くべく、その本家筋藩が間者を使って暴くというのがメインでこれに町人で家老のドラ息子を斬ってしまう話が絡むのだ。この間者が大河内伝次郎でめっぽう強い。町人が長谷川一夫で女形に身をやつす。悪い家老が薄田研二。この人は戦後東映時代劇で同じような役をよく演じた。家老と結託する商人が丸山定夫、間者を放つ本家の家老が滝沢修といった配役だった。
 私としてはオリジナルで観たかったなという思いが強い。

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