2011年09月

 
 成瀬監督の夫婦三部作の最後になる作品。林芙美子原作のものだが、「めし」「稲妻」「浮雲」といった名作群よりはやや地味な印象だ。上原謙と高峰三枝子と言えば、戦前の松竹作品では美男美女として何回も共演、しかもそこに高杉早苗も出演していて、1937年の「朱と緑」を彷彿させる。また、上原と高峰は国鉄のCMでナイスミドル夫婦役で出演していた。そういった新旧の印象とは全く逆の役柄である。妻は金の亡者だし、夫は優柔不断でおまけに浮気までする。妻の行動を見ると浮気の一つもしたくなるし、千年の恋も冷めてしまうように思う。この原作は読んでないが、資料によると離婚による結末らしいが、映画はそこまで至っていない。しかし夫婦関係は修復不能の状態だ。
 
 種々の解説、NHKのBS放映時の解説も含めて、これは成瀬監督の最初の不幸な千葉早智子との結婚の体験を反映しているというのだ。

 
 成瀬作品には「夫婦三部作」なるものがある。本作の前には1951年の「めし」がある。これが一番有名な作品。そしてこのすぐ後に「妻」というのがある。
 いずれも夫婦の倦怠期を扱っているのと、主人役が全て上原謙であるというのが共通している。上原の煮え切らない雰囲気がこれら作品群の象徴といえるのかもしれない。1953年といえばまだ日本もそんなに裕福でない生活状況である。せっかく出来た子供を主人は妻に堕胎するように求める。子供を育てる余裕がないからだ。これが戦前だと罪になるのだが、戦後には堕胎罪は無くなっているから、当時としては新しいエピソードだったというべきであろう。でも妻は諦めきれずに産科医からそのまま戻ってくる、その心の揺れは成瀬作品独特のものだと思う。妻役が杉葉子で、やや地味な感じはするが、悪くはない。もっと上映され観られてもいい作品だと思う。三国連太郎が松竹を離れて東宝作品に登場、早くも性格俳優の雰囲気を出している。

 
【収録情報】
・リーム:光の戯れ(2009)
 アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 マイケル・フランシス(指揮)
 録音:2010年10月23日、エイヴェリー・フィッシャー・ホール、ニューヨーク(ライヴ)
 世界初演実況
・ペンデレツキ:デュオ・コンチェルタンテ(2010)
 アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
 ローマン・パトコロ(コントラバス)
 録音:2011年4月6日 ミュンヘン

・リーム:ダイアーデ(2011)
 アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
 ローマン・パトコロ(コントラバス)
 録音:2011年4月6日 ミュンヘン

・カリアー:タイム・マシン(2007)
 アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 アラン・ギルバート(指揮)
 録音:2011年6月4日、エイヴェリー・フィッシャー・ホール、ニューヨーク(ライヴ)
 世界初演実況
 
 アンネ=ゾフィー・ムターという人は現代音楽の演奏にも熱心なようである。3人の現役の作曲家の4作品を取上げている。いずれもヴァイオリンの美しさを追及したような曲で聴く限りは、特殊な奏法を要求していないように思う。まん中の2つはコントラバスとの二重奏曲でこれがまた合っている。ヴィオッティによるこの二つの楽器の二重協奏曲もあるくらいだから、相性がいいのかもしれない。
 
 1曲目のリームの「光の戯れ」という曲は小編成のオーケストラである。ムターがモーツァルトのような編成を望んだと解説にはあった。あまりオーケストラは鳴らず、ソロの目立つ曲だが、ヴァイオリンの美しさが際立っていた。弦楽と木管のみのようで、金管楽器や打楽器は省かれているようだ。逆に最後のカリアは大編成をバックの曲のようだ。中間には打楽器やトロンボーンのグリッサンドなどが聴こえてくる。NYPとの共演だが、いずれもその定演で初演された実況録音のようだ。

 今朝の日本経済新聞の一面もこの記事が大きく出ていた。系列のテレビ東京の番組でも注目記事として取り上げていた。見出しだけを見ると国内空洞化の象徴のようにも思えるが、既にこの領域が価格競争に入っているということであろう。国内拠点を半減し、国内工場の増強投資も中止して、中国での生産を50%にするというものだ。ただ、自動車向けは技術流出防止の観点から国内生産をするという。
 
 ライバルである隣の韓国にしても輸出を伸ばして海外投資するかわりに国内投資は鈍化、富の配分の無さに国民から反発を買っている。主に財閥系の企業だが、財閥系は特権層と見なされている。韓国でも若年層の雇用が無くて深刻な状態だという。大企業は自分さえよければいいというふうに一般から見られているということだ。

 
 これは一種の原爆関連の映画であると考えられる。田坂監督自身も応召して広島の連隊に在籍した時に被爆している。
 
 上映時間が2時間を超える長い映画である。テンポが遅いのには参った。話の展開がなかなか進まない。かてて加えて、アメリカにこれまで媚びるような内容は公開当時もずいぶん叩かれている。アメリカは原爆を投下したが、そうした過去の行き係を忘れて手を携えようと言っているようで、これを被爆者の方々が観ると憤慨するかもしれない。
 この2年前に「長崎の鐘」で初めて日本映画に原爆のキノコ雲が登場した。またこの同年には新藤兼人監督が「原爆の子」を発表して真正面から原爆を取上げた。しかし、まだ生ぬるいと考える人たちは翌年関川秀雄監督に委ねて「ヒロシマ」を製作している。こうなるとこの映画の存在意味が無くなってくる。過去に拘って進まないのは困るが、一切を水に流すというのもまた困ったものなのだ。むしろ被爆の恐ろしさはずっと後に製作した「五番町夕霧楼」にさりげなく出てきている。
 
 今後、本作が上映される機会は乏しいと思う。フィルムセンターでの上映か、CSでの放映を根気よく待つしかないかもしれない。

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