2015年07月

 
 田坂具隆監督が1961年に発表した作品。大作「親鸞」二部作のあとに作られたもので、この次は「五番町夕霧楼」という有名な作品が続く。
 
 1956年5月から9月あたり時代の埼玉県の入間地区が舞台と思われる。基地に隣接しているからだ。そして、始終戦闘機の訓練する音を聞きながら、生活している人たちが登場する。もう戦後は終わったと経済白書でも言われた頃だが、まだ戦争の傷は鮮明に残っている。主人公は母と二人暮らし。父親は召集されて、インドネシアで戦死。父親の弟弟子の大工の夫婦の二階に間借りをしている。そういう背景に貧困、差別それに教育問題が子供の視点で描かれている。単なる教育的な児童映画ではない。深刻な問題がさりげなく出てくるので、余計に考えさせられる。学校の後援会長が実は暴力団の親分だったりするし、姉が米兵と結婚して白い眼で周囲から見られている女の子がいたりする。中には病弱で亡くなる子もいて、なかなか盛りだくさんだ。しかし、もっとも愛する母親とこの子は死別してしまう。その死を受け入れまいと泣くのをこらえる子に世間は薄情な子だ、不良だとこれまた白眼視する。この子の担任の先生の父親も教育者で、大人の独りよがりの愛情は子供には迷惑、そっと見守るべき。この子が思い切り泣けるのはいつなのか、それが来ないのは、彼にとっては不幸であり、立つ瀬がなく無残ではないかというシーンは教育の難しさを突いている。結局の近所にあるユネスコ村にあるインドネシアの家がこの子の拠り所。父親が戦死して骨がまだ残っているであろう国の家を模したものだが、幸いにもこの子はそこで泣いていたのである。
 
 主人公の伊藤敏孝は当時は有名な子役だった。長じても役者を続けていたが、脇に回ることが多かった。東映のヤクザ映画に出たり、「音はつらいよ寅次郎かもめ歌」では夜間中学の先生、「あゝ野麦峠新緑篇」では検番などで出ていた。
 
 こういう映画でも137分という長尺ものではあったが、だれることなく観ることができた。

 以前、この指揮者の評伝を読んだことがあった。その本は指揮活動に焦点はあてていたが、録音評は一切なかった。彼はチェリビダッケほどの徹底した録音嫌いではなかったが、録音という営みにかなり非協力的な指揮者ではあった。

 本領はコンサートであり、一度も来日はしていないので、我々は録音などにどうしても頼るしかない。それでもライヴ録音が発掘されたり、中にはコンサート映像が出てきたりして、魅了される人は多い。遅いテンポでしかも一旦始まるとずっとそのテンポを保持してゆくところなどは、何か動かない大きな存在を感じさせるのである。

 上の写真はVPOとの録音風景であろうか。中にはポピュラーな小品まで録音しているが、その中に十八番があったりする。またチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」はとても好きだったとも伝えられている。ワーグナーやブルックナーだけでは当然ない。評判のブルックナーは今は滅多に演奏されない改訂版で演奏していた。今更新しく出版された原典版をやるつもりなどないというのは、この人らしい頑固な一面を示すもので面白い。

【曲目】
ブリテン:
歌劇《グロリアーナ》より 交響組曲 Op.53a *
チェロ交響曲 Op.68 #
歌劇《ピーター・グライムズ》より 4つの海の間奏曲 Op.33a
【演奏】
エドワード・ガードナー(指揮)、BBCフィルハーモニック
ロバート・マレイ(テノール)*
ポール・ワトキンス(チェロ)#
【録音】
2010年7月14-15日 マンチェスター新放送センター・スタジオ7(イギリス)

 前田陽一監督の初期の作品。土屋隆夫の原作を野村芳太郎と吉田剛がシナリオにして撮っている。喜劇のようであり、サスペンスのようであり、ちょっと微妙なテーストの作品である。

 とある村の郵便局の局長の姪とその局の臨時雇いの青年のチグハグな関係を描いたもの。女の方は村の秀才ではあるが女たらしの青年に騙されて自殺しようとしているし、青年の方は仕事を適当にやる冴えない奴である。女は毒薬を持っていて、ドン・ファンのような青年に復讐を果たし、二人は利害関係を一にして深い関係になるが、互いに紹介された相手の方が気に入ってしまい、お互いに殺意を持ってしまうというのが粗筋。

 共演は谷幹一や柳沢真一、三遊亭歌奴など助演しているので、全体的にコミカルな雰囲気。ヒロインの加賀まりこは相変わらず小悪魔的でそれなりの雰囲気を出しているが、青年役の田辺昭知は素人芝居の域を出ない。当時のGSの人気にあやかってザ・スパイダースのリーダーとしてまたドラマーとして活躍してきた人だが、同じメンバーの堺正章などの影にかくれてあまり、パフォーマンスをしない人だった。したがって、一本調子の演技はどうしても見劣りがしてしまう。祭太鼓を起用に打つシーンはご愛嬌ながら、流石にうまかったが、本筋にはあまり関係がない。

 何とも中途半端な仕上がりになってしまっているのは、残念でならない。前田監督は以後コミカルな路線へ舵を切って、佳作を送り出しているのは周知の通り。
                                                         

 
 「陸軍中野学校」と同様に増村保造監督が最初に手掛けて、東京の撮影所に開始された後に、シリーズ化となって、撮影所も京都に移ったのが本シリーズ。これは後期の作品である。本シリーズは敗戦直前の満州という設定で、ソ連軍の侵攻やゲリラに振り回される日本軍の姿が背景にある。二人の主人公ともに我が道を行くというところが痛快で、人気シリーズになったもの。
 
 「陸軍中野学校」もだったが、第1作はどこか戦争の空しさみたいなものが濃い感じだったが、回を重ねるに連れてアクション娯楽の要素が強くなっていった。これもそうしたプログラム・ピクチュアに組み込まれた作品と言ったらそれまでだが、組織の枠組みを超えようとする二人の兵隊の行動に日頃の鬱憤を観客は喝采していたのかもしれない。開拓避難民を助けるという後半の山場だが、軍隊本体は民間人保護には否定的であることがさらりと出てくる。

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