2016年12月

ヨナス・カウフマン(アンドレア・シェニエ),
エヴァ=マリア・ウェストブルック(コワニー伯爵家令嬢マッダレーナ),
ジェリコ・ルチッチ(カルロ・ジェラール), 他、
ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&合唱団, アントニオ・パッパーノ(指揮)
[演出]演出:デイヴィッド・マクヴィカー,
[美術]ロバート・ジョーンズ,
[衣装]ジェニー・ティラマニ

【収録】
2015年1月20日, ロンドン、コヴェントガーデン王立歌劇場でのライヴ

 この演目のディスクが棚にまた一つ増えた。本当にどうしたことか、東京(日本初演・NHKイタリア・オペラ)、ボローニャ市立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場そしてこのコヴェントガーデンとなる。東京で初演された当時、日本では専門家でも知らない人が多かったという。だが、割とドラマティックなところや階級を問題にするところなどの社会的な描写も相俟って、知られる機会が増えたのだと思う。

 だがこれほどまでにむきになってしまうほど増えてしまったのか。ジェラールが第3幕で唄う「祖国の裏切り者」というアリアの演奏に載ったことがあった。オペラ独特の緩急が呑みこめず苦戦した覚えがある。そんなことが関係しているのかはわからない。

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 これもフランク・キャプラ監督の代表作の一つ。1939年の作品であるから、「風と共に去りぬ」と同時期の作品。日本の公開は1941年10月9日という。日米開戦の直前の公開でアメリカ映画が戦争により途絶する寸前に公開された1本でもある。

 少年警備隊長である青年が前任議員の急死で祭り上げられる。素人の青年が次第に政界の腐敗に気付き暴いていくというもの。これもまたややお伽噺のような内容だが、自国の民主主義への信頼が前面に出ている。昨今の自国さえ良ければそれでよいというような人物が大統領になるアメリカ社会とは全く違う雰囲気である。陰で政治を操る人物に扮したエドワード・アーノルドの憎々しい顔は何だか次期大統領の顔つきに似ているような感じがした。手段を選ばないやり方は映画を初めて観た時はあまり真実味を感じなかったが、この頃は迫真に思えるようになった。妙な気分である。

フランク・キャプラ監督が1936年に製作したアメリカ映画。人情喜劇と云ったら良いか。資産家の叔父が亡くなって思わぬ遺産を相続することになった青年をめぐる物語。主演はゲーリー・クーパーとジーン・アーサー。クーパー扮する主人公は何か考え事をするとテューバを吹くというクセがある。他人はこれを奇行とみなすが、最後の審判の場で、人それぞれクセはある。爪を噛んだりするのと同じと論破する。常識に捕われない素直な男という設定はやや作り話めくが考えさせられる映画ではある。ところで公園のデートでジーン・アーサー(実は新聞記者で潜入取材)が唄うフォスターの「故郷の空」とクーパーがドヴォルザークの「ユーモレスク」の口ずさみを同時にやるシーンがある。実はこの曲は相性がよく、後年ボストン・プップス管弦楽団がこの2つ唄を融合したアレンジを演奏した録音があったのを思い出した。まだアーサー・フィードラーの時代のもの。アレンジャーはこの映画を観ていたのではないか。


 これは劇映画ではなく、ベルリンのある一日を描写した作品である。今から90年も前のベルリンの一日。冒頭に蒸気機関車が牽引する列車が出てくる。郊外を走るその列車の車窓はベルリンに向う列車。早朝の中央駅に到着して、そこから一日の様子が展開する。5幕仕立ての約1時間の映画だが、このところベルリンという都市に興味があって、これはいいものを観たと思った。まだ平和な頃の戦前のこの大都市の姿が観られる。戦争でやがて破壊されてしまうのだが、その前の姿なのだ。まだ、ナチスの闊歩も出てこない。。

 戦後は東西に分断されて冷戦の象徴となるも、今やまたヨーロッパを代表する大都市として復活したのだが、今では観られないこの都市の情景自体に惹かれる。ベルリンというとブランデンブルク門なんかがすぐ思い浮かぶが、出てこない。そこに生活する人たちの様子や交通や工場の様子が中心。割と鉄道が登場するのは鉄道ファンとして感激である。地下鉄なんかは今もあまりかわらないが、地上の鉄道は蒸気機関車が中心だ。

 ヴァルター・ルットマンは晩年はナチスの宣伝映画に従事したという。1941年に東部戦線に出向き映画撮影中に負傷して、それがもとでベルリンで没した。彼は終戦の惨状だけは目にしなかったのはせめてもの慰めなのかもしれない。

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 今になってやっと話題作を観る。連れ合いの要望により、近所のシネマコンプレックスに出かけて鑑賞した。公開からかなり時間が経過していたので、一日一回の上映にはさすがになっていた。

 さて、ここではストーリーは触れないでおく。その代わり気になったことをいくつ挙げてみたい。

 まず若い男女の入れ替りという設定は大林宣彦監督の「転校生」に似ている。もっとも入れ替り方はこちらはかなりひねってある。

 次に時間がずれているという点はアメリカのテレビ映画「トワイライト・ゾーン」(邦題:ミステリー・ゾーン)にもあったような話だ。

 また、風景のみのショット(エンプティ・ショット)が多い。これは小津作品の影響だろうか。また、ご神体の場所へ行くシーンで草原のシーンがあるが、これを観たら黒澤明監督のデビュー作「姿三四郎」の決闘のシーンを思い出した。

 これらは自分の推量もあって、そうではないのかもしれないが、それら真似ではなく、うまく消化して構成しているという感じがした。

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