2017年03月

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f5/Felix_Weingartner_in_Japan.JPG/200px-Felix_Weingartner_in_Japan.JPG新交響楽団を指揮するワインガルトナー
 
 最近、ワインガルトナーが録音したEMI盤の復刻BOXが韓国のレーベルから再発された。1923年から40年あたりまでものの網羅されている。1925年くらいまでのものは電気式ではなく、蝋管による収録で音は貧弱である。弦楽器はプルトを極端に減らし、特殊な楽器を使用していたのではなかろうか。管楽器は一応スコア通りかもしれない。しかし、中には妙なピッチで壊れた玩具の録音機のような音がしてとても鑑賞に堪えない代物もある。それでも楽団のクレジットはロンドン交響楽団とか書いてある。だが、1923年当時はまだ出来たばかりで創立20年も経ていない新興楽団。その当時のブラームスの第1番を聴いてみたが、弦は1プルト(2人)くらい。それも同じ楽器同士の音程も怪しいし、フルートの類も上ずって聴こえる。コンサートだとまともにいったのだろうか、と余計な心配もするほど、ひどいものだ。ワインガルトナーの解釈も多々の制約があってわからない。ディスクの収録時間に合わせてなのか、テンポは速い。今はその恐いもの聴きたさもあって、先に古いものが収録されたものを先に聴いている。同じ盤に30年代後半の録音もあって、それなんかはかなりまともな状態であるし、今も鑑賞して問題はない状態だ。そのあたりを聴くとドイツ・オーストリア系の正統な系譜を継ぐ指揮者であることがわかる。同世代のトスカニーニほど鮮烈ではないにせよ、落ち着いた演奏が楽しめる。
 
 この人は日本にも来てくれて新交響楽団(今のNHK交響楽団)を振っている。同世代の他の巨匠たちは極東まで足を延ばしてくれなかったのとは対照的だ。かれはユダヤ系で本来の活躍の場をナチスによって奪われた人だ。スイスを本拠にして、イギリスのオケとの共演が結構多い。まだ併合前にはウィーン・フィルとのベートーヴェンも録音に遺してくれているのは幸いである。件のBOXは全て聴き終えてから改めて記事にするつもりでいる。近年の作曲家の再評価も高まり、交響曲・管弦楽の全集もCDになっているという。伊福部昭らの作品を審査もかって出て日本楽壇にも大いに影響を与えた人でもある。
 
 改めて蝋管式の録音は、聴けないと思った。かなり前、NHK-FMでトスカニーニの特集で1921年のスカラ座のオケで録音されたものを聴いたが、やはり鑑賞には堪えない。トスカニーニ本人は失望してガラクタの山と云ったと伝えられている。他にニキシュ&BPOによるベートーヴェンの第5番も墓場からの音楽のようだった。そして、今ニューヨーク・フィルの175周年のBOXも出ているが、このオケが初めて録音に臨んだ1917年の録音(米コロムビア)も含まれているし、1922年頃のメンゲルベルクとの録音(米ビクター)も収録されているらしいが、多分大同小異の状況ではなかろうか。フルトヴェングラー&BPOによる1926年のベートーヴェンの第5番も怪しげな感じだった。ともかくも失望することは間違いなしであろう。

 1947年5月9日に公開された作品。親の云うことを従順に聞くべきという考え方の母親(瀧花久子)は、長男(若原雅夫)の嫁(折原啓子)が気に入らない。趣味もそれから作る料理も自分とは異なり、馴染めないのだ。既に長女は他家へ嫁ぐが、しきりに母親のものをねだり持っていく。次男(小林桂樹)はまだ医学生だが、卒業すると母親は自分の気に入った遠縁の娘と結婚させようとする。実はその娘を長男の嫁に考えていたことが明かされる。長男は亡夫のように医者にならず、自分の意志で気に入った女性と結婚、次男も思ったようにならない。全て自分の思惑通りにならないので家出してしまう。長女のところへ行けば、婿は案外で失望し、弟夫妻のところへ身を寄せる。亡夫の命日に墓参をしたら、一足先に長男、次男それに次女(三條美紀)が参っていて、父親が存命の時はこんな状態でなかったというのを物陰から聞いて、自分の非を悟る...。だいたいそんな物語だ。

 棚田吾郎のオリジナルシナリオを映像にしたものだが、たとえば自発性とか、女性が持っている重い荷物を代わって持ってやるといった戦後の民主主義の啓蒙もさりげなく描かれるが、本筋はよくある嫁と姑の確執である。しかも、かなり陰湿な確執で、70年も前の話なのに少しも古びていない話なのである。映画だから、何とかハッピーエンドで終えているが、難しい問題をさりげなく扱っているところにこの作品の値打ちがあるように思う。

 母親役の瀧花久子は、嫁をいびる役をやっているのは意外なキャストに自分には映った。どちらかというと理解のある女性を演じることが多かったからだ。戦前は日活多摩川のスターであり、巨匠・田坂具隆監督の夫人になった人だ。戦後は成瀬巳喜男監督の「稲妻」で上品な下宿のおかみさんとか、山本薩夫監督の「白い巨塔」では主人公を女手一つで育てる気丈な母親を演じていた。だが、ここでは聞く耳を持たない、子は親に従うのが当然とばかりの頑迷な人物に扮している。だいたいが柔和な表情の女優だから、目のふちを黒く化粧して、きついメイクアップになっている。演技力は相当なものだということを認識させられた作品だ。

 これは隠れた佳作といったところで、観てたいへん満足した。
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太陽を盗んだ男2
 この映画は公開直後、名画座で観ている。確か銀座並木座だったかと思う。沢田研二と菅原文太の共演ということで話題になっていたし、当時新進の長谷川和彦監督はどんな映画を作るかの興味もあったろうと思う。ただ、そのクセ同監督の「青春の殺人者」は回避していた。親殺しという題材が嫌だったと思うし、ATG作品だから難しいだろうということもあった。これは東宝系での公開で、二人の大物が出ているのと、伊藤雄之助も登場というのも気を惹いた。
 
 さて、普通の中学の理科の教員が原爆を作るというのが当時は荒唐無稽な設定のように思われていたが、今はどうなんだろう。結果論だが、今やこうしたことは可能な感じがする。沢田研二扮する教師の得意分野は物理学のようで、基礎知識はあるのだろう。翻って昨今のテロリストたちにこうした素養のある者がいて、何をしでかすかわからない時代になっている。長谷川和彦監督を始め、原案者のレオナード・シュレイダーもそこまではっきりと予知はしていなかったろうが、感覚的なものはあったのかもしれない。
 
 かつて映画をよく一緒に観ていた仲間が云ったことだが、「ACTミニシアターなんかでよく上映されている民青的ヒューマニズムの映画とは真逆なのが長谷川和彦監督作品、そんなヒューマニズムなんかクソクラエみたいなところがある」という言葉がいまだに記憶に残っている。どこかアナーキーな気分になる作品だが、長谷川監督は広島出身で、原爆はとても自身にとってセンシティヴなものであろう。彼独自のそうした武器の恐ろしさを描いたのかもしれない。同時に伊藤雄之助扮するバスジャックの老人は旧陸軍の軍服をまとい、天皇との面会を要求するが、これは戦争の残滓の表現とともに狂気との結びつきの示唆的な場面であったと思う。この名優の最後の映画作品のようである。また、長谷川監督も本作以降、2017年3月現在、映画を撮っていない。

【曲目】
ミシェル・ルグラン:
1. ピアノ協奏曲
2. チェロ協奏曲

【演奏】
ミシェル・ルグラン(作曲・ピアノ)1, 2
アンリ・ドマルケット(チェロ)2
ミッコ・フランク(指揮)
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

【録音】
2016年9月5日~26日 パリ、ラジオ・フランス・オーディトリウム

>映画音楽界の巨匠にして、名ジャズ・ピアニスト
ミシェル・ルグラン新作は、初の本格的クラシック・レコーディング

『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人』『おもいでの夏』など、数多くの映画音楽を手掛けて、ジャズ・ピアニストとしても数々の名盤を発表。3度のアカデミー賞と5度のグラミー賞を受賞している映画音楽界の巨匠にして、名ジャズ・ピアニスト、ミシェル・ルグランの新作は、初の本格的クラシック・レコーディング。ルグランは、多彩な楽器を駆使した豪華でジャジーなオーケストレーションが特徴的だが、80歳を過ぎて原点回帰的な内容のアルバムとなった。彼は1950年代からジャズ、映画音楽の分野で活動を開始し、ジャズ・ピアニストとしては、自己名義のアルバム『Legrand Jazz』(1958年)ではマイルス・デイビスと共演するなど世界的に活躍してきたが、もともとはパリ国立高等音楽院で20世紀の最も重要な作曲家を数多く世に送り出した名教育者で作曲家であるナディア・ブーランジェに師事、クラシックの基礎を学んでいる。過去には出世作の『シェルブールの雨傘』をピアノとオーケストラのための交響組曲にアレンジ、ロンドン交響楽団とも録音している。今なお精力的に活動を続けるルグランが、晩年に取り組んだ大きな仕事がクラシック技法を駆使した新作協奏曲2曲である。ジャズや映画音楽のテイストと現代音楽の技法が織り交ざり、色彩感溢れ洒脱で快活でモダンな新たなルグランの世界が広がる意欲作となった。「ピアノ協奏曲」はルグラン本人がソリストを務め、「チェロ協奏曲」はパリ国立音楽院にてジャンドロン、フルニエ、トルトゥリエに、米国でシュタルケルに師事、ロストロポーヴィチ国際チェロコンクール等数々の入賞歴を持ち、現代音楽にも造詣が深い気鋭のチェロ奏者アンリ・ドマルケットがソリストを担当した。この「チェロ協奏曲」はドマルケットのために書き下ろされ、作曲家本人のピアノと共演した貴重なもの。オーケストラは名門フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、指揮は2015年より同オケの主席指揮者を務める、フィンランド出身の指揮者ミッコ・フランクが見事にソリストをサポート。2016年9月、パリでの新録音。
ソニー・ミュージック

 ミシェル・ルグランというとイージー・リスニングというイメージが強い。クラシックよりはポピュラー畑のアーティストという認識だったが、それは一面な理解だった訳である。蓋をあけてみると、クラシックとはいってもジャズ的な奏法満載かと思いきや、極めてオーソドックスなコンチェルトだった。ピアノは作曲者自身による自作自演である。これから評価を受ける作品群だが、これからも好奇心を旺盛にして、新作に触れる機会を作りたいものである。




【曲目】
モーツァルト
交響曲第40番ト短調K.550
ワーグナー
《神々の黄昏》
夜明け~ジークフリートのラインへの旅
ジークフリートの葬送行進曲
ブリュンヒルデの自己犠牲

【演奏】
アニタ・ヴェルッキ(ソプラノ)
ハレ管弦楽団
指揮:サー・ジョン・バルビローリ
 
 1964年にBBCが収録した放送用録音のようである。レコード用ではないが、多分セッション録音ではなかろうか。残念ながらモノラル録音である。ワーグナーはこれがステレオだったらと特に思ってしまう。考えてみれば、この指揮者のワーグナーはあまりなかったように思う。レコード会社がイメージしづらかったのだろうか。それでも死の3年くらい前は「ニュールンベルクのマイスタージンガー」をドレスデンで収録する企画があったそうだが、1968年の「プラハの春」の事件でワルシャワ機構の一員の国での仕事をクーベリックの呼びかけの応じたので、流れてしまったらしい。そういえば当時の東ドイツはウルブリヒトという独裁者がいて、ソ連以上にプラハの春で強硬な姿勢を取ったことで知られる。そういう政治的な話は抜きにして、ファンとして聴いてみたいと思うのだが、こればかりはどうしようもない。
 
 結局、戦前のNYP時代のライヴものが遺されていて、自分もそれを所持している。至極オーソドックスなワーグナー演奏だった。ここでもケレン味はない演奏で共感は持てた。

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