カテゴリ: 山本薩夫監督

 
 これは左翼系独立プロ活動に陰りが出た1950年代半ばに、近代映画協会の呼びかけで製作された3話オムニバス形式で作られた作品。吉村公三郎、今井正、山本薩夫の3監督が手分けして担当している。資金難などで行き詰まりつつあった中、少しでも観客を呼び込もうと企画されたもの。各話30分くらいだが、どれも貧しい人たちが懸命に生きる姿の描写である。華やいだ雰囲気はなく、生活に根差したような話ばかりで、日ごろの憂さ晴らしに観る映画とは少々違うところが、逆につらい感じがする。どれも一抹の希望めいたものを残して終わるが、それでもスカッとはいかない。だから、これで独立プロ作品が起死回生できたとは到底思えない。

第1話:吉村公三郎:花売り娘
花売り娘と銀座の雇われマダムの交流が描かれるが、冒頭から花を買ってという少女たちの姿が痛々しい。主人公の少女はマダムに花を全部買ってもらって家に帰ると姉の死に遭遇する。後日、そのマダムにお礼を言いに行くと、その彼女も悲しい身の上。しかし、気力を失っていたマダムは少女の来訪で再び活動しようと決心する。話的にはたったこれだけかという程度のものである。ただ、ライトのあて方が特徴があって下から照らすような感じでそれが印象に残る。夜の何となくとげとげしいシーンに使われているのは、吉村監督らしい心理描写なのかもしらないと思った。

第2話:今井正:とびこんだ花嫁
突然荷物のように送り込まれた若い女性が、工場労働者の青年の部屋に送り込まれてくる。薄給の彼は困るのだが、郷里で勝手に段取り付けて送り出したのだ。今なら人権問題になるだろう。台詞にもある。しかし、その内二人は次第に打ち解けていく。少々コミカルな感じがして、3つの話の中では一番楽しめる内容ではあった。もう少し続きを見たい感じはあった。

第3話:山本薩夫:愛すればこそ
映画全体と同名なので、便宜的に山本監督の項に入れた。息子が学生運動で検挙されたので一家は苦しい生活を強いられていた。伯父がやってきて、学生である息子に改心させるように迫る。母は息子に面会するも信念を曲げない。だが、恋人らしい女性の登場でなんとか希望を見出すというもの。評ではもっとも生硬で独立プロの悪い要素が出ているという酷評があるが、さほど酷いとは思えなかった。ただどうにもならない閉塞感はやはり観ていて辛いものがある。

 内容もかいつまんで書いてみたが、やはり当時の観客は社会の矛盾を訴えられるよりも時代劇スターの活躍や美男美女のロマンスでも観て日常を忘れるのを求めるだろう。その反省もあって、喜劇仕立てにしたりなどの工夫なされた。そしてやがてこの3監督もメジャーでも仕事を得て、主義主張をオブラートに包んで表現するということで「進化」を遂げるのだが、そうした試行錯誤の時代の産物のような作品とも云える。


  阿佐ヶ谷ラピュタで、池部良特集をやっていて、その中の1本として上映していた。スクリーンで観るのは、32年ぶりである。

 時間まで池部良のこの映画に対する評価がよくないことを示す文章を読んだが、山本薩夫監督や宮島義勇カメラマンへの反発は相当なものだった。ことに後者の役者をものみたいに思っている態度には頭にきたと言ってから、現場の雰囲気も窺えて、興味を持った。彼の指摘は山本薩夫監督の欠点を的確についていた。

 
 この作品は、スクリーンで二度観ている。その二度ともが今は閑散としている浅草六区にあった映画館だった。山本薩夫監督のフィルモグラフィの中では地味な存在で上映頻度も多くないが、30数年前はそれでも関東地区では時折上映はされていた。しかし、一度VHSにはなったようだが、DVD化の予定はないようである。
 
 封切りは11月15日とある。同日には「続・男はつらいよ」も公開されていて、当初から目立たない存在だったかもしれない。ポスターの中には「幕末にもいたゲバルト集団」といった惹句も掲載されていたものも目にしたことがある。1969年といえば、極左が主導する学生運動が盛んな時代であり、年初には東大安田講堂事件なるものがあった。またこの前年には新宿騒乱があって、新宿駅などが被害を受けていた。そういう背景があって、時代劇の形を借りて、そういうゲバルトの空しさを描こうという企画だったのかもしれない。山本監督自身は日本共産党員だったが、こうした極左的動きには批判的だったのかもしれない。
 
 ここに登場する人物たちは、世の中の動きに敏感なようで疎い感じの者が殆どである。世直しといいながら、やはり身分の上下に拘る姿も出てくる。これらは革新団体でも総論では革新的でも個人的には恐ろしく保守的で差別意識があったという自戒もあったのかもしれない。ただ、映画としてはなんとくなく中途半端で、必ずしも成功してはいない。大映なのに仲代達矢主演というのもちょっと異色ではあるが、これも余計に中途半端な印象を与えてしまう。1969年は市川雷蔵が没した年でもある。公開当時は既に亡くなっている。そうした会社側の情勢もあって、意気が上がらない印象もある。画面も暗いのも気になる。スクリーンで観た折はそう気にはならなかったが、CSの放映では暗さが強調されすぐている印象だった。
 
 山本薩夫監督としては永田大映での最後の作品となった。直前には記録映画「ベトナム」の総監督を務めている。もう大映を離れることが決まっていたのかもしれない。「ベトナム」を配給した縁か、日活に出向いて「戦争と人間」に取り組むことになる。

 これもBD盤についての感想である。映画自体は既に記事にしているので重複は避ける。今回、VHSやDVDとの比較になるが、暗い場面になった時に、黒く潰れて何がなんだかわからないものがあった。殊にレンタルのVHSはひどく観られたものではなかった。今回BD化でかなり改善された。冒頭、パトカーの警官が銃撃されるシーン。直前の二人の警官が驚きの表情するところがはっきりとわかる。以前はそれが不鮮明だった箇所だ。
 
 ステレオ音声でないという不満もあるようだが、まずはこうしたいい状態に甦ったことはファンとして喜びたい。
 

 
 久々に「牡丹燈籠」を観る。この暑い中、少しはスーっとなるかと思ったら、一向に効果はない。
 
 さて、この映画は社会派の山本薩夫監督の作品。「白い巨塔」や「戦争と人間」の監督がこのような怪談映画を撮っていたとは当初驚いたが、社会の矛盾の結果によるということに話を組み立ている。幽霊よりも、主人公に死んだ兄の嫁と結婚せよと親族に迫られるが、そういう連中の方が数段恐く見える。その兄嫁も無表情で恐い。
 
 ただし、お露役が赤座美代子がやや魅力不足で残念。当時は文学座の新人だったと思う。もう少し艶っぽい方が良かったように思う。多分、前作「ドレイ工場」で芸者役で出演していた流れでの起用だったのではなかろうか。
 
 山本薩夫監督としては、不本意な作品だったようで、悩む姿をスタッフは目撃している。ただ、緩急を交えた演出は流石にプロで、時折ユーモラスなシーンも織り交ぜて映画を仕立てている。

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