カテゴリ: 鉄道

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 8月30日に元・梅小路機関区の機関車博物館が閉館した。新たに出来る京都の鉄道博物館に発展的解消ということらしい。今、山口線で走行しているC571も本来はここの所属。出来るなら、雨ざらしになっていた機関車もちゃんと整備して、きれいにしてくれたらと思う。
 

 このC11364は米子機関区に長らく所属し、境線の運行や米子駅構内の入換に従事していた。松江駅でもD51の後について出雲市の方まで行く姿も見たことこがある。木次線や大社線の運行も担ったのかもしれない。その後、北海道へ転属してその地で廃車になったというが、その晩年の北海道での写真を見つけた。士別線の貨物列車ということだが、子供のころから馴染んだ機関車が遠隔地で稼働している姿を確認できてよかったと思っている。

 アメリカでは最近やたらと鉄道脱線事故が続く。今までは原油輸送の貨物列車で、炎上して大被害を出しているが、今度は旅客列車だ。死者も出ているが、現場写真は惨憺たるもので、鉄道ファンとしてもとても残念な光景だ。
 
 
 ところがここへ来て、ちょっと意外な情報が入ってきている。まず車両。昨夜のテレビ東京の「WBS」でかなり古い車両が使われているという。64年前のものも現役であったというから、びっくりである。高速で走るのだから、車両の痛みも早かろうにと思う。
 
 次にシステムがとてつもなく、古い。信号システムは第二次大戦に先立って作られたもので、電線は1930年代にまでさかのぼれるものがあるという。こうなると、論外である。安全をどうみていたのか。70~80年前のものがあること自体がびっくりを通り越してあきれてしまう。
 
 起きるべくして起きた事故のようである。

 かつては米子鉄道管理局というのがあり、米子機関区があった米子駅。D51やC57,C58,C11それに8620型といったいろいろな蒸気機関車がたむろしていた。今はターンテーブルと車庫がその往年の名残をとどめるだけである。DE10もかつてのように山陰でも活躍の場は縮小した。C11や8620に代わって、貨物や客車の入換や境線での運用があったが、もう殆どが消滅している。米子にあった貨物の集積は隣の伯耆大山にシフトする。


東京~上野ラインを扱ったJR東日本のサイト。

そもそもかつては、東北線や常磐線の列車が東京を通過して品川方面まで運行する列車は存在していた。今回のように高架ではなく、現在新幹線が通っている線がかつては在来線と路線として利用され、蒸気機関車牽引の通勤列車が新橋あたりを走行している写真も見たことがあるし、品川駅に待機している東京経由で秋田方面に運行する臨時夜行列車を電車から実際に目にしたことも。何となく新幹線開通で浮かれているが、在来線も充実して欲しいと思う。

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