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 午前十時の映画祭の1本として上映されたので、それを観た。既にBSあたりで放映されていたので、録画して保存してはいるが、やはりスクリーンで観たいと思ったからだ。4Kデジタル上映だったが、今回観たものはやや輪郭がぼやけていて、思ったほど高画質には感じられなかったのは残念だった。もともとのマスターネガの劣化なのかもしれない。それと同時に主要キャストの俳優は殆ど鬼籍入りになっているので、経年が長きに亘っているということであろう。

 ジョージ・スティーヴンズ監督のフィルモグラフィからすると、「シェーン」の次の作品である。ということは土地に関連する話題が続けたことになる。そこから派生する歴史観、社会観を強く打ち出しているということだ。そして、今なお巣くっているアメリカの抱える社会問題を観客に突き付けている。この監督は、ヒューマニスティックな社会派ともいうべき監督であると改めて認識する。ラストはあっけない。肌の色の異なる二人の赤ん坊の眼が大きく映って「THE END」となる。この子らが成長したら、問題が少しでも解決前進して欲しいという監督の願いなのだろうか。残念ながら、あまり前進はしていないように見えるのだが。













演出:デス・マッカナフ 装置:ロバート・ブリル 衣裳:ポール・テイズウェル 照明:ピーター・マムフォード 振付:ケリーデヴァイン
ヨナス・カウフマン(T:ファウスト)
ルネ・パーペ(B-Br:メフィストフェーレ)
ジョナサン・ベイヤー(B:ワグナー)、
ラッセル・ブラウン(Br:ヴァランタン)
ミシェル・ロジアー(MS:シーベル)
マリーナ・ポプラフスカヤ(S:マルグリート)
ウェンディ・ホワイト(A:マルテ)
ヤニック・ネゼ=セガン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団・バレエ団 
2011.12  メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク(L
>カウフマン&パーペの見事な役ぶりと、セガンの充実度の高い音楽
「ビッグ・リバー」「ザ・フーズ・トミー」で二度、トニー賞(演出部門)に輝いたデス・マッカナフによる新演出によるメトロポリタン歌劇場でのライヴ。舞台を20世紀に移したこの演出は、イングリッシュ・ナショナル・オペラでも絶賛されたものです。ゲーテの同名の戯曲をベースに、20世紀半ばの科学者ファウストが悲惨な実績から20世紀の初めにフラッシュバックする設定という興味深いものです。正統な音楽に即し中身の詰まった音楽を作り出したネゼ=セガンの指揮。メフィストフェレス役のルネ・パーペの抜群な存在感。カウフマンの惚れ惚れするような美声など、話題のライヴの映像です。
ユニバーサル・ミュージック/IMS

 これも「Live Viewimg」からパッケージされたもの。ホストは前回「マリア・スチュアルダ」とタイトルロールを歌ったディナート。幕間に主要な歌手や指揮者のインタビューが入る。今回、ファウストは原爆開発者という設定。冒頭に広島の原爆ドームのシルエットが出たりする。この演出に批判的な人も多く、出演者のカウフマンも不満を持っていたと云われる。マルグリットは当初ゲオルギューだったらしいが、キャンセルしてしまったとのこと。ドームのシルエットだけでなく、ワルギプスのシーンは被爆者とおぼしき人たちがゾンビのようになって登場、これはいささか不快な演出に映ってしまった。演出家が最後に登場してブーイングする人がいたので、まだそこらのバランス感覚を持った観客がいて安堵した。とにかくいわくつきの舞台。設定が20世紀にしてしまったので、バレエはなさそうだと思ったら、それは当たった

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①ストラヴィンスキー:バレエ音「春の祭典」 2017.5.19 東京オペラ・シティ・コンサ-ト・ホール:
②バーンスタイン:「ウェスト・サイド物語」より シンフォニック・ダンス  2014.1.31 サントリーホール
アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団 ライヴ録音


 今や旬の若手指揮者による20世紀の傑作の組み合わせである。バーンスタインの方は予定されていた女性指揮者の出産のための代役だったという。東京フィルはいい指揮者を選んだと思う。私が若い頃のこのオケは今一つの演奏しかしてくれなかったのだが、結構公苑している。人員も変わっただろうし、新星日本交響楽団を併合したということもあって、メンバーを3交替で回しているとか、いろいろ工夫して公演しているというから、ずいぶん変わったのだろう。

 さて、演奏だが、かなりバーバリズムに徹した演奏であるのがストラヴィンスキーだ。シモン・ボリバルがいささか拍子抜けのおとなしい演奏だったのに比して、こちら爽快なほど暴れまくるといった趣だ。バーンスタインの方はリズムなどの刻みが明確に聞こえてきて、自作自演盤よりははっきりとパートが聞こえてくる。やはりオペラの指揮者なので歌わせるところ歌うという感じである。

 羽生選手が事故にあいながらも、競技を行い2位に入った。本来なら、良かったというべきだろうが、競技を強行したことについては賛否両論がある。練習中、中国選手と激しく衝突して、痛ましい姿で演技したのだが、心配なのは脳震盪である。今後の選手生命にかかわる問題でもある。米国でもアメリカン・フットボールの選手などが、この脳震盪に苦しんでいる人が多いのだ。「Concussion」という言葉が大見出しになる。感動したというが、それだけで済むかという問題をひそむエピソードではあると思う。

 「黒子のバスケ」という漫画がどういうものかは知らない。だが、この事件でアニメにもなっていて、相当な人気作であることを知った。それはそれでいいことではあるが、その成功を羨み執拗に脅迫を繰り返すとはどういうことか、考えさせられた。多分、作者とは一面識もないだろうなという予測はしていたが、それはその通り的中した。
 
 捕まった時に、「負けました、ごめんなさい」という言葉を発したというが、36歳になるこの男はどういうつもりなのだろうか。ゲーム感覚なのかなということは感じられる。しかしここまで執拗になれるとはどういうことだろうか、解せないのだ。何を普段しているかも不明のようだし、記事からは何か病的なものも感じられる。一方でネット社会で「荒らし」なる行為があって、他人を執拗に攻撃する者がいた。その「荒らし」と同じようなものを感じる。その行為が先鋭化したという印象なのだ。ごめんなさい、とは言っているが、今回の行為は妨害行為が社会に与える影響は大きく、関係先は大いなる損害を被っている。刑事だけでなく、民事でも責任を問われるのかもしれない。

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